定年した父が、毎朝電車に乗る理由

番号 139

# 介護録

# 大切な家族へ

父の「出勤」は終わらない

「お父さん、今日どこ行くの?」

朝7時半。

父はいつものように髭を剃り、シャツに着替えています。

財布をポケットに入れて、玄関へ。

「会社だよ」

「……お父さん、もう定年したよ」

「ああ、そうだったな」

そう言いながら、父は出ていきました。

定年して、もう何年も経っています。

現役時代は、毎朝決まった時間に家を出ていました。

駅まで歩く。

いつもの電車に乗る。

いつもの車両に乗る。

いつもの駅で降りる。

そこから会社まで歩く。

何十年も繰り返してきた道です。

ところが、仕事を辞めても父の朝は変わりませんでした。

「今日はゆっくりしたら?」

そう言っても、

「いや、いつもの時間だから」

と出かけてしまいます。

最初は散歩だと思っていました。

ところが、ちゃんと電車に乗っています。

しばらくして帰ってきた父に聞きました。

「どこまで行ってきたの?」

「会社の近く」

「何しに行ったの?」

父は少し考えて、

「……別に」

と答えます。

家族としては、

「いやいや、何のために行ってるの?」

と思います。

でも、父にとっては違ったのかもしれません。

会社に行くことは、単に仕事をすることではなかった。

朝起きる。

着替える。

家を出る。

駅まで歩く。

電車に乗る。

人の流れの中を歩く。

昔の職場の近くまで行く。

その一つひとつが、何十年も続けてきた「生活」だったのです。

父が通っていたのは「会社」だけではなかった

定年すると、仕事という大きな役割がなくなります。

でも、長年続けてきた生活のリズムまで、急になくなるわけではありません。

毎朝同じ時間に起きる。

同じ道を歩く。

駅で電車を待つ。

乗り換える。

目的地まで歩く。

こうした行動には、意外とたくさんの判断があります。

「今日は何時の電車に乗ろう」

「この道は混んでいるな」

「信号が変わるまで待とう」

そんな小さな判断を、父は毎日のように繰り返していました。

もちろん、電車に乗ることそのものが認知症予防になるわけではありません。

ただ、外出して身体を動かしたり、人や街と関わったり、予定を考えたりすることは、日常の中で自然に身体や頭を使う機会になります。

そして、昔の場所にはもう一つの力があります。

「記憶」です。

ある日、父と昔の通勤ルートを歩いてみました。

駅を出たところで、父が突然立ち止まりました。

「ああ、ここだ」

「何?」

「あそこの喫茶店。昔、よく昼飯を食べたんだ」

私には、ただの古い建物にしか見えません。

でも父には違いました。

「あの頃は課長が怖くてな」

「この道を急いで歩いてたよ」

「新人の頃は、毎朝この電車に乗るだけで緊張した」

次から次へと話が出てきます。

家族が知らなかった父の話まで出てきました。

こうした昔の記憶を思い出して話す方法は「回想法」と呼ばれ、認知症の人や高齢者への心理・社会的なアプローチとして研究されています。

昔の写真を見る。

昔の音楽を聴く。

昔の道を歩く。

そうしたものが、過去の記憶を引き出すきっかけになることがあります。

つまり父にとって、昔の通勤路は単なる「懐かしい場所」ではなかったのです。

歩きながら、

「ここは何だった?」

「この先に何があった?」

「誰と歩いていた?」

と記憶をたどる。

身体を動かしながら、頭の中でも昔の道をたどっている。

それは、父にとって自然な認知機能への刺激になっていたのかもしれません。

「もう必要ない」を、全部なくさなくてもいい

家族からすれば、

「もう仕事は終わったんだから、行かなくてもいいでしょう」

と思います。

心配だからです。

それに、毎日出かけられると、

「どこに行くの?」

「何時に帰ってくるの?」

と確認する必要もあります。

正直、少し面倒です。

こちらにも仕事があります。

自分の生活もあります。

親の行動をすべて見守ることはできません。

だからこそ、全部やめさせるのではなく、

「今の父にできる形で続けられないか」

と考えてみる。

昔の会社の近くまで行く。

お気に入りだった喫茶店まで歩く。

家族と一緒に昔の通勤ルートを歩いてみる。

距離が長ければ、途中まででもいい。

一人では不安なら、一緒に行けばいい。

大切なのは、「昔と同じようにできること」ではありません。

今の父が、安全に楽しめる範囲で続けられることです。

実際、外出には歩行だけでなく、道を確認したり、周囲の人や車に注意したり、目的地を考えたりする場面があります。

そして昔の場所に行けば、記憶を思い出すきっかけも生まれます。

「ここ、昔は何があったの?」

そう聞くだけで、

「いやあ、昔はな……」

と、父の話が始まるかもしれません。

介護では、できなくなったことに目が向きがちです。

でも、

「まだ歩ける」

「まだ覚えている」

「まだ話せる」

というところにも目を向けてみる。

それは、親のためだけではありません。

家族が知らなかった「親の人生」を知る時間にもなります。

そして、その記憶は、時間が経つと少しずつ変わっていくかもしれません。

だから私たちは、親の思い出や人生の出来事を、家族の記録として残していくお手伝いをしています。

昔の仕事。

昔の家。

昔の友人。

家族との出来事。

そんな一つひとつを残していくサービスが「おやものがたり」です。

介護が始まってからではなく、元気なうちから。

親の「ものがたり」を残しておくことも、親介護の準備なのかもしれません。

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